虎屋―和菓子と歩んだ五百年


虎屋―和菓子と歩んだ五百年 (新潮新書)
ひょんなことから、高級和菓子屋「とらや」に行くことになった。どうせ行くなら研究してから行こうと思い、ホームページをさらりと見た後、本書を読んで500年の歴史を持ち、「とらやの歴史は和菓子の歴史」とまで言われる所以を勉強してみたわけです。

■和菓子は五感の芸術

美しさを視覚で、銘々された名前を聴覚で、味わいを味覚、香りを嗅覚、食べる時の完食を触覚で味わう和菓子は五感の芸術と言われています。特に高級和菓子ともなると、普段の食べ物では重視しない、見た目の美しさの視覚と、考えられた名前の聴覚へのこだわりが強い。

■皇室、財閥、歌舞伎界などの御用達

この本に出てくる代々のお得意様の顔ぶれが半端ない。大昔から皇室のために和菓子を作ってきただけあって、明治天皇の特注の和菓子を作ってそれぞれの名前を命名してもらったり、最近では歌舞伎界の海老蔵の襲名で特注の和菓子を作ったらしい。

ゴルフボールの形をした「ホールインワン」という和菓子は、三菱財閥創始者、岩崎与太郎の子孫であり三菱4代目の岩崎小弥太が作らせたものだったりと、それぞれの和菓子の逸話に財界人がわんさか出てくる。

■何度も訪れた危機を乗り越えてきたとらや

今でこそ日本は不況で、特に贅沢品となる高級和菓子なんてまっさきに打撃を受ける業界。デフレ時代ではユニクロとか安いのがウリの店は繁盛するけど、高級店の「とらや」は結構厳しい状況らしい。ただ、世界大戦や大地震など、今まで何度も廃業の危機を乗り越えてきた店なわけで、それに比べれば「こういう不況は過去には何度かあった」みたいな認識らしい。うーむ、さすがに歴史がすごい。

■時代の変化に対応してきて生き残ってきた

もともと京都の和菓子店だった「とらや」ですが、皇室が東京に移るのにあわせて東京に店を移動させる。最初はお偉いさんの注文のみだったのが、販売もするようになり、百貨店やデパートなどで売り出す。その時々に、ブランドイメージの維持と時代の流れに合わせる葛藤などがあったらしい。

■政治の世界にも進出する15代目

「とらや」はずっと黒川家で先祖代々受け継いできた会社です。同族企業の社長の業績は、誰でもいいから優秀な人を跡取りにする企業に比べて落ちるのは、久保先生の「コーポレートガバナンス」という本でも統計的に立証されている。それでも、500年潰れずに生き残ってきたのは確固たるブランドイメージが強力なのと、受け継がれてきた経営方針みたいなものが根付いているのかもしれない。

そんな黒川家でも、15代目だけは後継者不足で東大出の優秀な若者を養子にしている。これがが15代目の武雄さんなわけですが、この人の経営が結構すごい。当時では珍しかったダイレクトメールという手法や、米国産のフォード車を配達に初めて使ったりといろいろと新しいことを試している。

そんな武雄さんが政界に進出したきっかけは、皇室の御用達を取り消されかけた時。なんとか皇室御用達は続けてもらうことに成功したんだけど、この時、政治力の重要さを実感して政界にも進出していく。

■実際に、伊勢丹のカフェに食べに行ってきた!

本を読んでたら猛烈に食いたくなったので、新宿伊勢丹のとらやのカフェに「あんみつ」を食いに行ってきた。高級デパート店の入り口のすぐ横に位置するとらや。たいていの百貨店で「とらや」はこの特等席を確保しているらしい。さすがだ。。

30分ほど待つので、売っている羊羹を眺める。すると、どこからともなくマダムが現れ、とらやは京都発祥だとか、京都の限定品が美味いと教えてくれた。高級和菓子店だけにこういう客層は非常に多いらしく、百貨店ではマダム達が張り合って高い和菓子を注文する光景は日常茶飯事だとか。

ようやく入れたので、さっそく定番商品である「あんみつ」を食べてみる。1000円ぐらい。金魚の形をした寒天みたいなものを口にいれた瞬間、あまりの美味さにびびる。「とらやで食べると他の店で食えなくなる」と言われてはいたんですが、本当にそんな感じ。心の中でスタンディングオベレーション。これはヤバイ。

絶対また来ようと心に誓いながら、本来の目的である羊羹を買って帰りました。