【書評】走ることについて語るときに僕の語ること


拷問読書今週3冊目。累計103冊目。村上春樹の本は「ノルウェーの森」読んでもよさがあまりわからなかったけど、この本はなかなかおもしろい。走ることについて語る本なので、小説のようにエロい話はいっさいなし。走ること以外にも春樹さんの生活、小説家になろうと思った時の話なども出てくる。

■つきあいより生活習慣を優先する

ジャズバーを辞め、生活習慣を一新した春樹さん。朝5時に起きて夜10時には寝る。早朝の集中できる時間帯に仕事を片付ける。その後の時間に走ったり、雑用やあまり集中しない仕事をする。日が暮れるともう仕事はしない。音楽を聴いたり、リラックスして早めに寝る。

「もう客商売はやめたんだから、これからは会いたいと思う人にだけ会って、会いたくない人にはなるべき会わないようにしよう。」

「僕はもともと人付き合いの良い人間ではない。どこかで本来の自分に復帰する必要があった。」

こういう生活だから夜の誘いは片っ端から断ることになるらしい。しかし、落ち着いた生活を優先するためにはみんなにいい顔はできないと春樹さんは言う。

健康のためには早寝早起きとか当たり前なんだけど、現実のサラリーマンは仕事を自分の都合で切り上げられないのが大半ですよね。人間の機能的には春樹さんのような仕事の仕方が最も効率的で生産的でもあるはずなのに、普通の仕事だと厳しいですわな。

こんな生活を選べるのは特殊な職業についている人だけっていうのが現実。石器時代の人間は1日に1,2時間ほどしか働かず、他の時間は絵を描いたりと自分の好きなことをしていたらしい。こう考えると、技術が進歩して生活が豊かになっても生きる時に感じる幸福度は昔のほうが遙かに高そう。

ただ、一度便利なものを経験したり、発達した医療などを知ってしまうと古い生活に戻るのに強い抵抗があったりする。技術の進化を享受しつつも人間らしい生活ができる時代っていうのは期待できそうにないなあ。となると、春樹さんのような生活が選べるのはやっぱり特殊な才能があって、特殊な職業を選んだ人だけってことになるというオチ。

■走るのを人には勧めない

春樹さんは自分が走りたいから走ると言う。人には絶対に進めない。小学校の体育で長距離走を走らせるのも、嫌いな人には拷問だからよくないよってほどのスタンス。

走る時には小説の構想を頭の中で考えたりもするし、いろいろな事を誰にも邪魔されずに考えられる貴重な時間だそうだ。さらに、おもしろいのは走ることによって自らの老いを認識できるところにあると書いてあった部分。

以前の自分ならこの程度の距離を走っただけでは疲れてなかったのに、おかしい!となる。こういう時に人は自分が年を取っていて、残された時間が有限であることを肌感覚で認識できるそうな。

そういや元大リーガーで読書家の長谷川も似たようなことをインタビューで言っていた。毎日、練習メニューをメモして体の疲労感を記録すると、昔と今の体の違いがしっかりとわかるらしい。

日本どころか世間で認められている作家だから、これだけ非属をつらぬいても誰にも文句は言えないですな。ただ、今の春樹さんを作ったのも非属をつらぬいた結果でもあったり。