成毛さんのブログで紹介されてたので、ちょっと前に購入した本「キュレーションの時代」。著者は佐々木さん。途中まで読んで止まってた。
なんか、前半は音楽の話とかビオトーブとかいうよくわからない単語が出てきたりして正直読みながら眠たくなって中断してたのです。
いや、実際はマイナーな音楽家のライブを日本で売り出す話とかも面白かったんだけど。
で、久々にちょっと続きを読んでみた。そしたら、半分すぎたぐらいから本筋のネット上のキュレーションの話が具体的に出てきて、一気に面白くなった。おお、ついにキュレーションの話題が具体的に説明されている。さらに、知ってる話題なのに、分かりやすく説明されていて、頭がくっきり整理される。これはいい!
これはもう、ネットサービスをする人なら必読ですな。自分なんか、毎日TechCrunsh読んでるし、最近はHackerNewsまで購読しちゃった(まったく読んでないけど)、自他ともに認めるそれはもうネットサービス通なわけですね。
よく、はてぶとかで読んだ内容を、あまりネット詳しくない人にしったかしたりする毎日だし。まあ、ネットで読んだ情報をしったかするのは、相手も読んでたら赤っ恥をかくので、ちょっとづつ相手が知ってるか確認しながら話を進めるという高等技術が必要なので、意外と苦労が多い。
ちょっと話が、それた。まあ、何が言いたいかと言うと、ソーシャルとか、最近のネットサービスの動向が分かってると自分で思っている人も、この本はとっても細かく整理されて書かれているので、新たな気付きが得られると思う。
ついでに、基本はネットの話なのに、著者の博識ぶりというか、美術やら音楽やら、芸能やらといろいろな話に飛んで、見事にしったかしてくれるので雑学もつくこと間違いなし。なぜか、シャガールの話とか出てきてた。
反発を受けないユーザー情報収集型広告の極意
情報をかってに収集されて、広告情報に使われるのは気持ち悪い。例えば、スマートフォンで見ていた記事を勝手に収集され、ふらっと入った百貨店で「今、携帯で見ていたブランドの服が何階に売っていますよ」とか宣伝されると気持ち悪いですね。
例えば、最近「Color」っていう写真を取ったら即、周りにいる人に無差別に共有するサービスが話題になりました。こんなの、一人暮らしの女の子が使ったら、一気にストーカーの餌食になりそうなもんです。
で、ユーザーの情報を収集する時、ユーザーが気持ち悪いと感じるか、おっけーと感じるかの境目はなんでしょうねと本書では説明してるわけです。
さて、なんだろう。この質問に一瞬で即答できる人がいたら、その人はなかなかのネットサービス通だと思う。
言われてみると簡単なんだけど、普段からこういうことを意識して考えてないと、いきなり質問されて答えられないんじゃないだろうか。。
さて。。。なんだろうか。。。
答えはとても簡単で、自分の知らない所で勝手に情報が収集されてるかどうか。つまり、自分が明示的に情報を発信しているか、勝手に情報を収集されてるかどうか。
この問題を素晴らしい形で解決したのが、フォースクエアのチェックイン機能。
この機能ではユーザーが自らの意思で位置情報を伝えている。情報をユーザーが明示的に伝えているかどうかで、ユーザーの心理が決定的に変わると書いてある。
こういう事は、考えてみると当たり前だったりけれど、この本で論理的に説明されている
文章を読むまではこういう考え方はしたことがなかった。やっぱり本を読むというのは、
普段から自分が与えられている情報を繋げたり、頭の中で整理して確認できるからいい。
ユーザーから収集した情報を拾い集めてカスタマイズした広告を出す時、ユーザーが
明示的に選択した情報なら反発がないと考えるとサービス設計やら、広告設計の指針になるんじゃないだろうか。
そういう意味で、グーグルの検索連動型広告は自分でタイプしたキーワードを元にした広告だから気持ち悪さはない。フィエスブックのプロフィール欄を元にした広告も大丈夫。
でも、このルールから考えると、アマゾンのレコメンド広告はユーザーの購買情報を勝手に収集して推薦してくるから若干の怖さはユーザーが感じてるはず。それでも、一応あの広告が上手くいっているのはショッピングサイトだからかもしれない。
ショッピングサイトで自分の買った商品を元に、新たな商品を推薦するのはそこまで抵抗は感じないからだと思う。これが、ショッピングに関係のないサイトで勝手にユーザー情報を拾い集めて、商品を推薦されたらユーザーは当然、気持ち悪いと思うだろうし、反発も必須なはず。
このルールは考えてみるとアホでも分かるぐらい単純なので、ユーザの反発を受けるこんな馬鹿な失敗しないよと誰でも思うかもしれない。
でも、グーグル、フェイスブックなど名だたる企業が「ビーコン」やら、「グーグルラティチュード」やらで大失敗してる。なんでだろうか。あんな賢い人がいっぱいいる企業なのに。
これは多分、サービスを一気に流行らせるために、確信犯的にデフォルト状態で情報発信機能をONにするという誘惑に負けたからに違いない。
おそらく、「デフォルトで個人情報を拡散する仕様はユーザに怒られるかもしれないなあ。
でも、これをONにしてくれない事にはこのサービスの意味がないんだよね。とりあえず、デフォルトONでサービスインだ!」
たいていは、こんな感じだと思う。で、ユーザーから反発があったら仕様を変更したらいいんじゃねといった感じ。
このやり方はグーグルがよく使っていて、よくユーザのお怒りを買っている。
逆に、このやり方で成功したサービスってあるんだろうか。もちろん、ユーザ登録したらメルマガを送りつけてくるサイトは今でも多いけど、統計的に有利だからやってるのかもしれない。楽天とか。
誰かの視座に乗るのが情報収集コストを下げる
ネット時代は情報が洪水のように溢れている。だから、「自分で情報の真意を判断する能力が重要なんだYO」とネット通の人はしたり顔で語っていたわけです。
でも、情報が膨大すぎて、それぞれの情報の一次情報に辿って真意を確認するのは手間がかかりすぎるのでどんな人でも実質不可能という状態になっております。そんな時、信頼できる人をフォローして、その人の意見を参考にする方法が楽。これがキュレーションってやつですな。
情報を判断する時、自分で真意を確認するのはコストがかかりすぎるから、信頼できる人の意見をとりあえず参考にしよう!というのはめちゃくちゃ合理的なわけです。でも、それで間違ってたら、「自分の頭で考えるのが重要。自分で調べろよ。クズが。」と学校の先生とかに正論を吐かれてへこむかもしれません。
でも、すべてを自分の頭で考えて、すべての一次情報を自分で確認してたら時間がいくらあっても足りないから、まあしょうがないわけですな。
例えば、ツイッターなんかで、自分がフォローしている人の意見を参考にする事は多いと思う。この分野で、今一番熱いのはQuoraかもしれない。新しい議論の場となりそうな海外のQ&Aサイトだけど、気になるユーザーをフォローしたり、回答に大してVoteしたりもできる。
自分の気になる人をフォローしておけば、その人が絡む話題も追跡できるし、その人の発言も逐一チェックすることになる。
個人的にQuoraは最近よく見てるんだけど、情報の質も高くて面白い。とにかく、著名人が実名で議論している凄い未来を感じるサービス。
ただ、最近のWebサービスはなんでもソーシャル、位置情報、モバイルの3つに絡めようとしてて、みんな似たようなアイデアばっかり考えてる現状だとOpen Netwrok Labの前田さんが言ってた。
ちなみに、Open Network Labは日本のY Combinatorで前田さんは日本のポールグラハムになりたいとおっしゃってました。
この本を読むと、「よし、これからはキュレーションだ、ソーシャルだ」とみんなと同じ事考えるバイアスがさらに強まる気もする。ただ、情報過多の時代にキュレーションが求められるのは必然なので、そういったサービスに乗っかる、乗っからないに限らず、キュレーションについてわかりやすく整理されている本書を読むのは有益だと思う。
ネットやキュレーションは近視眼的になって危険なのか
よく、ネットを使うと、自分の好きな意見ばかりを見るようになるから、どんどん考えが近視眼的になっていくという批判がある。自分の考えとしては、残念ながらその通りだと思う。
例えば、ツイッターやブログでは、自分の興味だけでなく、自分の主義主張と似ている人をフォローするのが人間のさがなはず。
今までフォローしてきた人でも、なんか自分の考えと違うなと思ったら即リムーブできちゃう。よっぽど、意識的に自分の考えとまったく違う人の意見を聞くという事をしている人以外は、どうしても自分と似た意見で周りを固めてしまうと思う。
例えば、普段ネットで情報収集してると、ネット上での議論が自分の中のマジョリティーになる。世の中の大半の人はネットのブログなんて読まないで新聞に書かれている事が情報の中心だってことを忘れたりする。
世の中の人たちとランダムに関わっているのは、義務教育の小学校、中学校ぐらいまでで、高校とかになると学力でかなりフィルタリングされる。大学だともっとフィルタリングされて、働くともっとフィルタリングされて、本当に多様な種類の人と関わるのは免許の更新の時ぐらい。
それより、さらに近視眼になるのはネットの本質なんじゃないかと自分は思っております。なぜなら、ネットなんて、自分が読みたいものを読むし、自分がフォローしたいキュレーターしかフォローしないから。
しかし、なんと、佐々木さんは、この意見を一刀両断している!この意見は的外れだと!
なんと!
「人間はガジェットではない」という最近読んだ秀逸な本でも、ネットの大罪を論じてたし、ずっと自分も思い悩んでいたテーマに答えがでるのか!
これは凄い。
しかし、「キュレーションの時代」に書かれていたその答えは、ネット上では様々な趣味の人と触れ合える舞台があるので、会社の同僚仲間のグループとは違うからといった内容しか書かれてなかった。他にも、なんだかよくわからない内容がいろいろ書かれていたけど、どれも説得力には欠けていたと言わざるを得ない!
現代人は時間がないからキュレーターに情報選別を頼り、その結果、ますます自分の視野は狭まっていく。
また、グローバル化とネットの影響によって誰もが専門家になれて、特定の専門知識を磨かないとどんどん生き残れない時代になってきてる。だから、ますます個人の収集する情報は近視眼的になる傾向も拍車がかかるというのが自分の考えです。
これは、個々が意識的に修正するしかしょうがないんじゃないかって思う。
毎日同じ道で家に帰るんじゃなくて、ころころ道を変えて家に帰るってやつですね。
そのために重要なことは、意識的に暇になることだ!
つまり、今すぐニートになれ! 。。。と思ったりする。
なぜ、この本はひたすら脱線しまくるのか
さて、「キュレーションの時代」では、いろいろなエピソードがこれでもかと言わんばかりに出てくる。なので、ネットサービスの勉強に読もうかと思ったら、話が脱線しまくりで退屈になるかもしれない。
でも、この話の脱線が重要な意味を持っていると我が輩は途中で気づいてしまった!
というのも、この話の脱線自体がキュレーションの本質なんですね。著者が美術の話やら、音楽の話やら、幾何学の話やらといろいろなエピソードに脱線しまくって、この分野でもキュレーションが行われてるとかいろいろと繋げまくる。
いろいろな本を読んでいると、一見全く関係のない遺伝子の本の内容とビジネスの本の内容の本質が似ている時がある。
こういう事も、選別して、新しい価値を発見するっていうキュレーションの本質と似てたりするんじゃないだろうか。
うーん、これは自信がないけど、たぶんそうだと思う。
まだまだ、書きたい事があるんだけど、さすがに長くなりすぎたのでこのへんでやめる。