John MayerのLiveに行ってきたわけだが・・・


昨日、CBSホールにJohn MayerのLIVEに行ってきた。

アリーナでど真ん中、列も10列目ぐらい。最高のポジション。CBSホールはだいたい2千人ぐらい収容。本国なら絶対こんな小さなところで見れるわけないアーティストなので興奮して行ってきたわけです。

しかし、アルバム全曲知っているぐらいファンなのに、どうも退屈であった。そもそもライブというもに自分は向いていないのかもしれない。なぜかというと、John Mayerの曲で本当に好きなのは5曲ぐらい。それも、好きな曲も聴き過ぎると結構飽きてくる。

ライブになると、自分のそんなに好きじゃない曲が大半なわけで、その時間は寝転がって漫画でも読みながら聞きたいなぐらいの状態になる。しかし、今回は椅子があるけどアリーナなのでみんな立つし、自分だけ座るわけにもいかない。以外に2階席のほうが座って落ち着いて見れてよかったなと思った。

自分が女ならJohn Mayerカッコイイなと近くでずっと見てるだけで満足してたんだろうけど、いかんせん男なので、特に生でずっと見ていたいっていう興奮もなし。

というわけで、相当好きな曲が多い歌手じゃないと、同じ金でレンタルカート乗ったほうが自分は楽しめるなという結論が出ました。

やはりEmi Mayerのライブを超えるものはなかなかでてこない。あれは座って落ち着いて見れたのもでかかった。


孫正義LIVEが面白すぎたので、関連本を2冊読んでみた


孫正義LIVE2011(全編)

孫さんのことはまったく知らなかったんですが、2日前になにげなく聞いてみたら面白くて一気に2時間たってた。
10時に寝る早寝早起きを実践して毎日であるわけですが、その日はたまたま12時まで起きてしまってた。
意識朦朧としていていて早く寝ないとと思っている時間帯、そこからさらに2時間聞かせるというのは自分にとっては相当凄い。
自分しかわからない基準ですが。

で、面白かったので次の日に図書館行って、よさそうな本を2冊読んでみた。
”孫正義 世界20億人覇権の野望”と”志高く 孫正義正”の2冊。
結論からいうと自分としては後者がオススメ。

理由は、孫さんのぶっ飛んだ学校時代とか、ひたすら熱い部分が詳しく書かれているから。
前者の”覇権の野望”のほうはボーダフォンを買うところとか、電通のクリエイターとの話とか、
最近のビジネス部分が多い。まあ、こっちも十分面白い。

実在しているスケールでかい人物の伝記はジョブスとかバフェットとかどうしても海外の人になって
しまうけど、これらは日本の話だから知っている会社がいっぱいでてきて面白い。
やっぱり海外のよくわからない会社の名前が出てくるより、ジョーシン電気とか、電通とか、
最近の携帯ビジネスの話は予備知識があるので楽しめます。

ちなみに、金融日記の感想がブログでは一番面白かった。

こういうスケールのでかい話を聞くと、ちっちゃいことがどうでもよくなるのである意味精神安定上よろしいかもしれない。まあ、仕事しすぎだろと突っ込みたくなる時もあるけれど、自分が楽しいことをやりまくるのは誰でも楽しいはず。宇宙の話とかもそういう意味ではいいんだけど、ちょっと非現実すぎるのがイメージわかなかったりするしなあ。


「君主論」を漫画から攻める


君主論 (岩波文庫)君主論 (まんがで読破)チェーザレ 破壊の創造者(1) (KCデラックス)

マキャベリの「君主論」は恐怖で支配するみたいなイメージで有名ですが、時代背景を考えて読むと面白かったりする。偏見なしで読むと意外といい本だと評判です。結構薄い本だけど、古典で古い本なのでいきなり読むと、なんかヒドい事が書かれていて特に興味が持てないみたいな状態になっちゃいそうな本であります。

でも、日本には漫画という世界に誇る素晴らしい文化があります。とっつきやすさという最大の武器を持った漫画から入ると、時代背景を楽しく理解できて、本編の君主論も断然読みやすくなる。理解もしやすい。

ということで、まずは「チェーザレ」っていう君主論のモデルになった人物の漫画がよくできていて面白い。今は7巻あたりまで出ているけど、中世ヨーロッパの勉強もできてお得。背景描写へのこだわりとかも巻末で書かれていて、凄い力が入っている漫画だなと関心します。

さらに、漫画で読破シリーズの「君主論」が最高にいい。漫画で読破シリーズは古典を漫画で読みやすく紹介するというシリーズです。これは当たりハズレが大きい。ハズレのものは小説を題材にしたものが多いけど、単純に漫画化してチープになっただけっていう展開がよくある。

それにひきかえ、「君主論」バージョンはいい。なにがいいかというと、君主論を漫画にしたわけじゃないというところ。単純に君主論を書くまでのマキャベリの歴史、時代背景を漫画にしている。ラストはこれからマキャベリが君主論を書き始めるところで終わる。なので、君主論を漫画にしたわけでなく、君主論を書いたマキャベリの半生から作者が影響を受けた事柄をざっくりと予習できます。

で、本編の「君主論」を読むと楽しさが違ってきます。特に漫画で読破シリーズの「君主論」は予習としてかなりいい。これを読む前に本編をいきなり読んだんですが、hmhmそうか、なんか当たり前のことのような気がするなっていうイメージだった。時代背景を少しでもつかむとだいぶ楽しい。

そもそも、君主論にのっているマキャベリの絵が完全に悪人そのもの。怖い。漫画で読破シリーズのマキャベリは顔も明らかに善人キャラ。ノンキャリアとしてのマキャベリが政治に奮闘する姿が熱い。

このように、とっつきやすい漫画から興味を持って本に移行するというのは最高に素晴らしいナイスアイデアだなあと常々思っていた。そしたら、下記のような本を見つけたので思わず注文してしまいました。
マンガで鍛える読書力


【映画】ハートロッカーは狙撃シーンがいい


「ハートロッカー」を見てきた。ストーリーは淡々としていてなんでアカデミー作品賞を取れたのかよくわからなかったけど、軍オタとしては狙撃シーンが最高でした。ブラックホークダウンとか好きな人ならあれは楽しめる。そんなにネタバレはしない予定です。

この映画は突発的に見たくなったので、外が雨にもかかわらず頑張って映画館まで行ってきたわけです。で、作品を楽しむために道中では爆弾処理している時の心理状況とか想像したり、自分はいくらお金もらったら出来るかとか、映画監督ならどういうふうに撮影するかとか頭の中で想像していました。

脳内シミュレーションの結果、自分は爆弾処理とか数億円積まれてもちょっときついなという結論になった。余命数ヶ月ならまだしも、できるだけ長く生きていたいし、将来十分稼げるようになるかもしれんし、結構楽観的な性格なので未来はバラ色なわけです。

まあ、それでも爆弾処理をする人は必要なわけで、そういう人の哲学とか、「俺はこういう理由で爆弾処理するんだぜ」とか、そういった名ゼリフを自分が監督なら出したいなとか想像して道中の電車に揺られていました。

さて、映画を見たところ、主人公は普通に命知らずで特に爆弾処理をしている信念みたいなものもなく、爆弾のコードを切るのも淡々としている。よく小説とか映画とかである、「黄色か赤色、どっちを切ったらいいんだよ!ふぁっく!」みたいな発言もなく、主人公は淡々とコードをワイヤーとかで切っちゃうわけです。

なんだこれは。ちょっと想像と違っていたぞ。でも、それがリアルっていえばリアルなのかもしれない。しかし、爆弾処理シーンは特にドキドキしないけど、もっとドキドキするシーンが実はあった。

それはですね、爆弾処理に行くときや処理中に周りのイラク人達が一般市民なのか爆弾テロ犯なのか、もしくは爆弾の起爆スイッチを持って様子見している敵なのかさっぱりわからんところです。

この、周りのどいつが敵で、どいつが一般市民なのかわからず、さらに異国の言葉をべらべら喋っている。怖いから全員とりあえず撃ち殺しちゃいそうな米国兵の心理状況とオーバーラップする。ここは凄い。怖すぎる。

さらに、中盤の砂漠での敵との狙撃対決シーン。ここは軍オタなら要チェック。スコープごしに相手を狙っている時、相手も同時にこちらを狙っている。このドキドキ感。ここは映画館で見るとライフルの弾の音が大迫力なので価値ありでした。ここが一番燃えた。ここまではちょっと神映画かもしれない。

で、中盤以降、主人公含め、チームのみんなが精神的におかしくなってくるわけですが、ここらへんからちょっと映画がだれはじめる。

最初は主人公を威嚇していた黒人の同僚が「なんでお前はこんなの続けられんだよ?」とか半泣きで聞いていたんですが、主人公特に明確な返事なし。なんで続けるのか僕も知りたいです。理屈じゃないのかな。なんでだろう。。

さらに、自分が映画監督なら、爆風でどういうふうに周りの破片や石が飛んできて致命的な損傷を負うかを映像化するべきだと思った。爆発の瞬間のスローシーンはあるんですが、その後の破片が飛んでくるシーンを描いてほしかった。

もうちょっと爆弾処理班の給与水準とか、除隊後の生活保護とか、主人公が続ける理由とか掘り下げてほしかったなあとは思いつつ、まあ狙撃シーンが格好良かったからいいかと思い映画館を後にしました。

その後、映画館にiphoneをなくして大変だった。一番ドキドキした。


ケインズとハイエクのラップ対決


これは凄い。久々に感動した。受付嬢がケインズに会えて感激している横で知名度の低いハイエク。初っぱなから面白い。ケインズがハイエクに電話して、「FEDでパーティーだ」とか言ってラップが始まる。パーティーで人気者のケインズに対し、女の子たちにハゲ頭を触られるハイエクが悲しすぎる(笑)


書籍におけるユーザビリティ


本を読んでいる時、たいてい巻末に索引があります。この索引には結構重要な事が書いてあることが多いんだけど、巻末と読んでるページを行ったりきたりするのは手間がかかる。結果的に、索引は読まない人が大半じゃないだろうか。

しかしですね、先日読んだ”ハッカーと画家”は索引が同じページの下の部分に書かれている。こういう書き方をしている本はたまにあるけど、非常に見やすい。目を移動させるだけで索引を読むことができるので自然に読むことができる。

少々1ページごとの見た目はごちゃっとしてしまうけど、こっちのほうが遙かに読み手に優しいと思うんですが、なんで巻末索引が主流なんだろうか。そっちが主流になっているのは何か意味があるかもしれないと思い、しばし考えてみたが説得力のある利点が思いつかない。

世間で常識とされている事はそれなりに合理的である場合もあるけど、実はまったく不合理な慣習が生き残っている場合もまたあるわけです。キーボードの配列とか単純にタイプライター時代の慣習をそのまま引き継いでいるから、実はもっとよい配列があったりするし。

ちなみに、タイトルは「索引は巻末より同じページのほうが見やすい!」ってやったほうが一発で内容がわかって読み手に優しいのですが、ユーザビリティとかカッコいい横文字使ったほうがアクセス高そうなのでこっちにしてみた。タイトルが思わせぶりなほうが、「おお、なんだろ。。なんか凄い高度な事が書いてそうだ」とか自分は思ってしまう。

このユーザーのことを本当に考えて作るのと、訴求力を持たせるというのはしばしば相反するものかもしれない。行動経済学とか心理学を使った価格コンサルなんて、いかにユーザーの心理を操作して買わせるかをアドバイスするようなもんだし。

しかし、そういうことをやり過ぎると、いずれユーザーの反感を買って逆効果になったりもする。

「なんかユーザビリティとか書いてて、近頃話題の電子書籍とからめるのかと思ったら書いてあるのは巻末索引だけじゃないか。このブログは万死に値するな。」とか思う人がいて怒られそうです。


【書評】ハッカーと画家


ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち
超絶最高におもしろい。久々に遭遇した大興奮の傑作だと思う。今年に入って読んだ中で間違いなくベスト。

いくつかのネットベンチャーを立ち上げた著者が、様々なトピックに対して論理的に分かりやすく語る形式。デザイン、哲学、起業、プログラム、格差、タブーなどについて極めてわかりやすく、論理的に語っています。

ちなみに、ハッカーは犯罪者っぽい響きがあるけど、単純に優秀なプログラマーを意味する。個人主義が多いプログラマーにはリバタリアンが多いらしいけど、著者も生粋の自由主義者っぽい。

ベンチャー企業のスタートアップの話は、YAHOOに自社のアプリケーションを50億で売却した経験を元に非常に濃い話が書かれている。例えば、ベンチャーは普通の人が30年間分の働きを3年間で猛烈に働き、30年間分の給料を稼ぎ出すものだというくくりは最高に生々しく、面白い。そして、実際は一か八かでリスクの部分も具体的に書かれているのがいい。

”企業バカ”とか”ベンチャーはなぜ失敗するのか”っていう本に比べて、この”ハッカーと画家”は書かれていることの質が段違いに高い。

【口にできないこと】

時代によってタブーは変る。現在のタブーも未来の人から見れば笑えるものかもしれない。でも、現代の人間には今の常識が当たり前なのでわかりにくい。そういった事を見つけるには、他の人がそれを口にしたことで災難に巻き込まれたことを探す。タブーを真実とされると怒る集団がいて、それは真実である可能性も高い。

ここからがこの本の面白いところで、そういった考えは頭の中で巡らせてできるだけ口にしないほうがいいと書いてある。なぜなら、異端者としてそれを反対する人と議論をするのは不毛だし、それに多大な時間を費やす羽目になってしまうから。

このタブーの見つけ方、現実としてどう扱うかまでをここまで深く書いている本は初めて。ここが本書の最もオリジナルな部分かもしれない。

【10倍働くから10倍給料あげてくれ?】

秀逸なのが、富を創造するにはどうすればいいかという部分。上司に10倍働くから10倍給料をあげてくれと言っても無理。それは、大企業がそういう仕組みになっていないから。企業は普通の社員の評価を公正に計る方法がない。だから、10倍働いても10倍の成果がはっきり分からないので給料も上がらない。

本書では、しっかりと計れて、自由に生産性を高められる職だけが金持ちになれると書いている。

つまり、スポーツ選手やファンドマネージャー、企業のCEOなど。フリーのスーパー営業マンもそれに入る。成果が誰にでもハッキリとわかり、生産性を自由に上げることができる職種。これらの業種は働いた分だけお金を稼ぐことが可能になる。もちろん失敗のリスクも平等にある。

計れて、自由に生産性を高められる職につくとノルマとか仕事という感覚がなくなると思う。スポーツ選手が8時間労働を要求するとか聞いたことがない。ライバルに勝つために自分でやるわけで、それがもっとも生産性が高い。

【どうしてオタクはモテないか】

この本の中である意味一番どうでもよく、それだけに笑える部分。ただし、どうでもよい部分をひたすら論理的に考察しているのが笑える。

著者の主張を乱暴に解釈すると、オタクは頭がよくて身なりに脳みそを使っている暇がない。そして、他の人と同じように人気者になる労力を他の事柄に費やすからだ。と書いている。ここは、単純にギャグとして書いたのかもしれないけど、ひたすら論理的にオタクを擁護していてちょっと面白い。

自分もいろいろなもののオタですが、単純にオタクがモテないのは見た目が一番クリティカルなんじゃないかと思っちゃう。そして、逆説的には、モテることを諦めたからこそ他の事に脳みそを使うっていう部分もあるんじゃないかと。もちろん頭がいいんだろうけど。

そうはいいながら、著者はダンディなイケメンで学生時代もイケメン風でありました。関係ないけど、どんなものでもオタ化するほど知識がある人は面白い。でも、それを伝えられる能力がまた難しい。

NHKのデジタルネイティブという番組で、著者のグラハム動画への簡潔なインタビューが見れる。メッセージも簡潔でいい!
http://www.nhk.or.jp/digitalnative/index.html?id=n00


個人の効用より全体効用を優先できるか


オープンソースとか、レッシグのフリーカルチャー関係の本を読んでる途中で、人は他の人類のために自分の欲を完全に捨てられるのかを考えてみた。

例えば、魔法使いがやってきて自分に画期的な技術能力をくれたとする。例えば、どんなジャンクな食事を取っても健康的に過ごせる薬の開発技術とか。もちろん、副作用はなし。一粒10円ぐらいで非常に安価。この能力を使えば全人類を幸福にできるし、自らの富も創造できる。名誉もえられる。みんなブラボーって言ってくれてみんなハッピーになるわけです。

しかし、この魔法使いはもう一つの選択もくれるとする。この技術を自分にくれるかわりに、次の日から全人類は、その技術の恩恵を自然に最初から持っていたものにできる。つまり、薬なんて開発しなくても常に健康体で食いまくれる力を全員が持ち、みんなそれを当然のこととして生きる社会。

前者では自分で富を創造でき、感謝もされ、人類も幸福になる。後者では、全員に薬を渡す効果と同じなのでより人類は幸福になるけれど、誰も自分がした役割には気づかない。この場合、タダで人類に奉仕して、評判という効用を得るということも一切できない。誰も自分がした偉業は認識しない。

富は稼げなくても社会貢献をして尊敬されたり、評判がよくなったりする効用によって動く人は大勢いるわけです。稼げなくても他人に感謝されると嬉しいし。でも、この問題のポイントはそういうメカニズムも一切発生しないということ。

ちょっと悩むけど、自分だったら前者を取っちゃいそうな今日この頃。前者を取るということは、本当の意味でみんなの役に立ちたいって言えないかもしれない。正確にいうと、みんなの役に立つことで、自分も豊かになりたい、感謝されたいという感じなのかな。


音声認識技術がWEBを爆発的に変えると思う


TwitterはWEB上の情報を爆発的に増やすひとつのきっかけになっていると思う。

なぜなら、今までブログに書くのはめんどくさいけど、つぶやきぐらいなら書き込んでもいいかっていう軽いノリの書き込みが増えたから。もちろん90%以上はどうでもいい情報だったりするかもしれないけど、インターネットは大量の情報から自分に有益な情報をスクリーニングしてくれる技術を持っている。

とにかく、量は質を凌駕すると思うわけです。悪貨が良貨を駆逐するっていう心配はネット上の優れた検索技術が解決してくれるはず。つまり、どんな情報でも人々がぱっと思いついた事を手軽にネットにアウトプットする技術が発達すればネット上の情報は増える。そうなると、ネットの価値がさらに高まる。

この手軽にっていうのが重要で、twitterの登場は大きな役割を占めているはず。今までブログに書くにはめんどくさいなっていう事柄でも、つぶやき程度なら気軽に書き込めるっていうことは非常に多いはず。

しかしですね、twitterも限界がある。いくらiPhoneで入力できたりしても、やっぱり打ち込むのはめんどくさい。このめんどくさいっていうコストが非常に重要で、ちょっとでも楽になると大きな価値がある。そこで、音声認識の登場ですよ。

音声認識エンジンが発達して、自分の喋ったことがほぼ修正の必要なしでテキスト化することができればネット上に気軽にアウトプットできる。それはもう、爆発的に手軽になるかと思うわけです。特に文章の組み立てを後から再編集しなくてよいつぶやき系に合っている。これはもう、WEB3.0と言っていいぐらいの変化が起きるんじゃないかと。外でiPhoneとかしゃべりかけるのは恥ずかしいから、脳内で考えたことを入力できるようになったらまたWEB4.0ぐらいの爆発的変化が生まれそう。

で、今ツイッターアプリで音声認識メールみたいな一番優れていると言われているやつを使ってみたけど、まだまだ認識率が発展途上だと感じました。結局、修正をしないといけないのでそれがめんどくさくなって使わなくなった。グーグルの音声認識は使える。あれは、文章じゃなくて単語さえ認識してくれれば事足りるので、十分実用レベル。すごい。しかし、人前で突然話すのは恥ずかしいという重要な障壁があったりする。。


【書評】秀吉の人心掌握術が凄い「太閤記」


新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)

司馬遼太郎マニアの先輩に勧められた本。めちゃオモシロかった。秀吉の幼少時代から天下を取るまでの物語。見所は秀吉の人垂らし術。さらには、信長と秀吉の相性抜群の主従関係です。

■超合理主義の鬼上司、信長

信長は人を道具としてみる。自分に役立つと分かれば身分に関係なく取り立てるし、役立たなければ切って捨てる。合理主義である信長だからこそ、身分の低い秀吉にも出世のチャンスが与えられ、秀吉はことごとくそれをものにしていく。

この主従関係がオモシロすぎる。秀吉は信長を神と思っているけれど、へまをしたり、嫌われればすぐ殺されるという緊張関係を常に持っているわけです。何かを進言する時も、常に信長に好印象を持たれようと計算し尽くし、持ち前の明るい性格を存分に使う。信長がいなければ出世も叶わなかったと、常に死ぬ覚悟で尽くしまくる秀吉の気合いが凄い。

例えば、信長に褒美をやると言われても秀吉はもらわない。貯蓄が増えると信長に警戒されるからです。ひたすら信長命の行動を取り、上司からすると神のような部下。うーむ、これは真似できん。

■人間の感情を重視する秀吉

信長が合理主義派だったけど、秀吉は人間の感情も考慮して動きます。信長は交渉時には、相手は合理的に動くと従うだろうというふうに考えるのですが、秀吉は人間心理を念頭においた行動をする。

結局、感情を軽視した信長は家来に殺されるわけですが、この超合理主義上司の欠点を間近で見ることが反面教師の役割になり、秀吉は感情を重視する政治工作を上達させたのかも。このへんが、人間は合理的に動くという前提の経済人仮説と、不合理な心理も踏まえる行動経済学の発想がだぶります。

■なんでも明るくやる秀吉

秀吉はとにかく明るくいく。出来るだけ嫌われたくない。陰湿な政治工作も明るくやるため、暗さがかすむ。信長は恐怖政治だけど、秀吉は相手の立場をたてまくる。身分や家の歴史というバックボーンがない秀吉は、信頼できる部下も少なく、こういった戦術に走るのは合理的でもあったらしい。

どうも、漫画「花の慶事」で出てくる天下人の怖い秀吉とはイメージがまったく違う。天下を取る部分で終わるので、秀吉の明るく、さわやかな部分を強調した小説でした。